110周年を祝うアストンマーティンのイベントが浅草寺で開催[MJ]
アストンマーティンはブランド誕生110周年を記念し、昨年11月17日から19日にかけて日本においてアストンマーティンアルカディアを開催。
東京の浅草寺において歴史あるクルマ達とともに世界限定110台のヴァラーも日本初登場した。
今回は現地においてその開発責任者に話を聞くことができたのでレポートする。
〇文:内田俊一 写真:内田俊一・アストンマーティン
不死鳥のごとく蘇りながら
アストンマーティンは1913年、ロンドンにおいてライオネル・マーティンとロバート・バムフォードによって設立された。
この“アストン”という名称は、ライオネル・マーティンがアストン・クリントン・ヒルクライムで勝利した経験から名づけられたものである。
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その由来からも想像できるようにアストンマーティンはモータースポーツに積極的に参戦。1922年のフランスグランプリ以降、ル・マン24時間をはじめ様々なレースに出場し、多くの勝利を獲得していくのだ。
また、幾度も経営難に陥ったのもアストンマーティンの特徴だ。
最初は1924年、バムフォードが経営から抜けたことが要因で破綻。同社のエンジニアだったアウグストゥス・ベルテッリらがアストンマーティンを買い取り、活動を再開し、インターナショナルなどのスポーツモデルを生産し復活を遂げる。
しかしその後、何度も倒産の憂き目にあいながら、その都度熱心なエンスージアストの手により不死鳥のごとく復活する、それがアストンマーティンの歴史でもある。
いま、いくつものモデル名になっている“DB”も、1950年代にイギリスの実業家、デイビッド・ブラウンがアストンマーティンを買収し自社の傘下に収め、そのことを強調するために付けられたのが始まりである。
ベストオブショウはCタイプ
さて、今回のイベントではコンクール・デレガンスも開催され浅草寺境内には70台以上が集まった。
浅草寺での自動車の展示はこのイベントが初ということで観光客をはじめ多くの人たちの注目を集めていた。
コンクール・デレガンスの『Best in Show』は著名な審査員満場一致で1940年式のタイプCスピード・モデルに授与された。
当時、新たに登場したエアロダイナミクスの科学を利用して、すべてを包み込むような流線型の新しくモダンなボディが作られた。
スピード・モデルとは戦前のアストンマーティンのレース用モデルを指し、このタイプCはそれまでのスピード・モデルとは異なり、外部のコーチビルダーではなく、アストンマーティンがボディを製作したといわれている。
1,949cc SOHC直列4気筒エンジンを搭載し、125馬力を発揮していた。スピード・モデルは23台生産され、8台しか生産されなかったタイプCのうちの1台がこのクルマである。
110年なので110台限定
そして日本初お披露目されたヴァラーはアストンマーティン110周年を記念して作られる、フロントエンジンスポーツカーの伝統を受け継ぐ極めて特別なリミテッドエディションで、 専用設計された6速マニュアルトランスミッションと5.2リッターツインターボV型12気筒エンジンが組み合わされ、最高出力715PS。
最大トルクは753Nmを発生。110周年にちなみ全世界で110台限定生産車である。
このクルマの開発責任者であるAston Martin Lagonda プロダクトプランニングリーダーのサム・ベネットさんに話を伺ってみよう。
ベネットさんによると、「1970年代から80年代のアストンマーティンをオマージュにして、本当に自分で運転している、クルマを操っていると実感できるパワフルなエンジンと、マニュアルトランスミッションを搭載することで、より楽しめるクルマを目指して作りました」と語る。
そのモチーフは例えばV8やDB6あたりだ。
「特に1970年代に登場したV8をベースにしたレーシングバージョンで、1978年から79年にル・マンなどで活躍したRHAM/1マンチャーをイメージしてコンセプトを作り上げています」とコメント。
一方前述したとおりアストンマーティンには110年もの歴史がある。戦前車は意識しなかったのだろうか。
ベネットさんは、「110台限定ですので、より一般的にアピールするよりも、限られた市場のお客様にあえてアピールしたいと、よりアグレッシブなクルマをモチーフにヴァラーを作りました」と説明した。
そこで最も実現したかったことは、「本当にドライビングをしめること。絶対的な性能数値ではなく、魂に響いてくるような走行性能を目指しました」という。
さて、V8などをデザインのベースにしていることから、その面影はエクステリアデザインでも感じられる。
特にフロント周りでは、「伝統的なアストンマーティンのデザインを改めて解釈しなおしました。大きく2層に分けて考えていて、下の層は近代的でディフューザーも備わっています。一方、上の層はよりクラシックなデザインで、70年代80年代の伝統的なルックスとなっているのです」とベネットさんは説明した。
アストンマーティンは1960年代から日本に輸入されており、多くの正規輸入車が日本にもたらされてきた。
さらに、それ以前に作られた戦前車も数多く日本に存在していることは、今回の浅草寺の出展車を見てよくわかった。
3日間にわたるこのイベントは、浅草寺での展示の後、都内をパレードしたり、富士スピードウエイでの走行会が行われたりと、アストンマーティンの世界を堪能できるイベントとなっていた。
最後はガラパーティで幕を閉じたわけだが、そのいたるところにアストンマーティンらしいホスピタリティが溢れていた。
こういった心遣いが長年にわたってファンを生み出してきたのだろう。